健康を過信したための死

 だいぶ以前のことですが、今でも鮮明に脳裏に焼きついて忘れられないある出来事があります。3月のまだ肌寒い夜の11時過ぎ、寝入りばなにけたたましく枕元で電話が鳴ったのです。
 電話は、東京・駿河台日大病院の救急室の医師からでした。それは、まさしく悪夢としか言いようのない話だったのです。「先生に診てもらっている患者さんが、今救急車で運び込まれたのですが、DOA(デス・オン・アライバルの略で、病院に到着したときにすでに死亡していること) でした」。とっさには返事のできぬほどの信じられない内容です。
 「そんなバカな‥…。昨日診察にきたときには、S氏の体調は健康そのものだつたのに」とつぶやきながら、私はとりあえず上着をはおって、救急室に駆けつけました。
 そこには、医師もS氏の家族もなす術もなく荘然と立ちすくんでおり、一瞬、時間が止まっているような錯覚を感じるほどでした。

痛恨「昭和生まれのエリート重役の死」

 死亡までの経過をくわしく聞いてみると、また一つ驚くような事実が判明したのです。S氏は、首都を循環しているJRの通勤電車の車内で座ったまま発作を起こしたのです。倒れてそのまま電車が山手線区間を2周するまで、乗客の誰一人として気づかず、助けることも声すらもかけず、酔っ払いの一人として車内に放置されていたことが分かったのです。まさに東京砂漠を証明したような出来事です。
 最初にS氏に救いの手をさしのべたのは、なんと外国人だったのです。彼はS氏に気づくと、神田駅でかかえるようにしてホームのベンチまで運んだのです。しかし、すでに死亡しているようにも見えたので、駅員を呼び、救急車で最寄りの駿河台日大病院へ運ばれたというわけです。
 S氏は3年前に心筋梗塞の経験があり、それを克服して社会復帰を果たしていたのです。ところが、その日は運わるくマージャン仲間にさそわれ、仕事帰りにタバコの煙の充満した部屋で約4時間もの間奮闘したものと思われます。午後9時頃の電車に乗り、そのまま不帰の人となったのです。
 死因を解明すべく、S氏は東京都監察医務院に送られました。剖検の結果は、前壁領域に生じた新たな心筋梗塞でした。その範囲も広く、おそらく血栓により冠状動脈の閉塞が起こり、不整脈かポンプ失調により即死に近い状態であったと想像されるのです。
 翌日の新聞には、S氏の死亡が大きく報道されていました。「昭和生まれのエリート重役、心筋梗塞にて逝く」と。S氏は、いちはやく大手メーカーの重役に抜擢され、昭和生まれの世代の羨望の的だったのでしょう。誠に残念な次第です。



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