清浦記念館 (清浦奎吾) |
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大正13年、清浦奎吾は熊本で初めての総理大臣になった。
身を田舎町からおこし苦学力行し藩閥も学閥も姻戚もないところから腕一本で総理大臣になった。
嘉永3年(1850)鹿本町来民の明照寺、大久保了恩の五男に生まれ幼名を普寂(ふじゃく)といった。12歳の時、熊本市浄行寺の養子となったが青雲の心にもゆる彼は寺の法燈を継ぐ気にならず来民に帰る。
16歳の時、父母を説得して日田(大分)の咸宜園の私塾に入門。
普寂は苦学を続け都講という塾生最高の地位につき、塾主の代範を勤めるまでなって在園6年業成って意気揚々とふるさとの土を踏んだ。この頃に「清浦奎吾」と改名した。
23歳の時、彼は志を立てて上京し知り合いの埼玉県令をたより、埼玉県大教授心得に任ぜられ風渡野小学校の校長として教育に力を注いだ。役人として優れていてどのポストにいても上長に愛せられ、又十分に応える手腕を持ち合わせていた。(パンフレットより)
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清浦記念館
熊本県山鹿市鹿本町来民999-1
TEL 0968−46−5127 |
▲熊本県最初の内閣総理大臣
清浦奎吾伯を顕彰する
清浦記念館 |
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▲生家;明照寺
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▲生家;明照寺
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▲元総理大臣清浦伯の墓 |
▲館内展示室の様子
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▲館内展示室
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▲展示品
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▲展示品 |
▲大久保普寂(清浦伯)と父了恩の写真
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▲清浦伯と家族 |
▲清浦伯夫妻
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清浦記念館
熊本県山鹿市鹿本町来民999-1
TEL 0968−46−5127 |
年号 年 西暦 |
年齢 |
事 項 |
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明治 9年(1876) |
27 |
司法省に入り大審院検事局詰となる |
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19年(1886) |
37 |
内務省警保局長となる |
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24年(1891) |
42 |
貴族院議員となる |
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25年(1892) |
43 |
伊藤内閣の司法次官となる |
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29年(1896) |
47 |
松方内閣の司法大臣となる |
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31年(1898) |
49 |
山縣内閣の司法大臣となる |
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34年(1901) |
52 |
桂内閣の司法大臣となる |
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35年(1902) |
53 |
男爵を授けられる |
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36年(1903) |
54 |
農商務大臣となる |
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38年(1905) |
56 |
内務大臣兼任となる |
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39年(1906) |
57 |
貴族院議員を免ぜられ枢密顧問官となる |
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40年(1907) |
58 |
子爵を授けられる |
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大正 3年(1914) |
65 |
組閣の大命を拝するも拝辞する |
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11年(1922) |
73 |
枢密院議長となる |
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13年(1924) |
75 |
組閣の大命を拝し、内閣総理大臣となる
同年総辞職 |
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15年(1926) |
77 |
中国視察(第四回目) |
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昭和 3年(1928) |
79 |
伯爵を授けられる |
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4年(1929) |
80 |
宮中杖を授けられる |
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16年(1941) |
92 |
内閣首班奏薦の重臣会議に出席する |
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17年(1942) |
93 |
熱海米寿庵にて没す (年齢は数え年) |
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■開館時間 |
午前9時〜午後5時 |
■休館日 |
月曜日 |
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国民の祝日の翌日 |
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年末(12月29日〜31日) |
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年始(1月1日〜3日) |
■入館料 |
大人210円/小人 50円 |
団 体 |
大人160円/小人 40円 |
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